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ベターブログ

仲間 伸弥の個人日記

戦のみならず、領国経営にも才を発揮した武田信玄

趣味

私の好きな戦国武将は甲斐の武田信玄です。武田信玄と聞けばまず思い浮かぶのは武田の騎馬隊かと思います。

その強さは一説には信玄に仕えた山本勘助の子である僧が記したとされる甲陽軍艦にも記されていますが、信玄自ら組織した騎馬隊を率いて戦場から戦場を渡りあるいたということが強く影響していると思います。また同時期に天下統一を目指した信長には最大ライバルとなり、病をおして戦を続け生涯を終えたのも戦の途中であったことから、信玄はまさに戦国武将のイメージそのものだと思います。

彼の数々の戦話には大変興味深いものが多く私が信玄に惹かれる理由でもあります。荒々しいイメージの信玄に対し、その一見博愛主義者のような性格かた宿命のライバルとして比較される謙信との五度にわたる川中島の戦いなども興味深いですが、私は初陣の逸話にも興味が引かれます。

戦好きの父信虎が攻め落とすことに手を焼いていた豪傑平賀源心の海野口城を諦め、退却を決めると初陣であった信玄は自らシンガリを申し出ます。しかしシンガリは最も危険であり、通常は初陣の者に任せることはあり得ないのですが彼は見事シンガリを務めます。いや、務めるどころか武田軍の退却を知った敵が油断しているはずよむと、踵を返し少数部隊で海野口城に向かい、彼の予想通り酒盛りしていた敵方を叩き落城させます。ただ信玄の弟信繁を溺愛して後継者と望んでいた父信虎は信玄を嫌い、誉めるどころかそれを叱り飛ばしたといわれます。しかしその光景を見ていた板垣信方や飯富兵部などは信玄に同情し、後に信玄の腹心となり信虎の謀殺に暗躍するのは皮肉な話です。

もともと人望の薄かった父信虎を謀殺し、信濃平定の際には敵将諏訪頼重を倒し、その娘を妾として子を生ませたり、徹底抗戦した敵方の農民の男を皆殺しにし武将は皆さらし首にするなど信玄の残忍性という見方もできますが、私は用心深さ故の行動と思えます。むしろ彼の有名なことば、人は城、人は生垣という考え方から自国領民に対しては積極的に信玄堤などの土木や治水事業を行い、温情深いところがあったことも事実です。また棟別銭や、登山者や山詣者、金持ちから税金を細かく取ることで政治を安定させることが領国経営には必須であると認識していることは、信玄が戦のみでなく治世手法においても優れていた証拠だと思います。

参考サイト
武田信玄とは (タケダシンゲンとは)